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Oct 15 , 2017

憧れに近づけば近づくほど、それは実は離れていっているのだ

本題に入る前に、お気に入りの1枚をパシャリ。

眉間のシワが素敵ですね。

本題にいきます。

Zirqus結成当時、初期メンバーのみんなに言ったことがあります。

「憧れに近づけば近づくほど、それは実は離れていっているのだ」

というものです。

誰しも憧れる人っていうのがいると思います。

俺もそういう人はいます。

そうやって純粋に、誰かに憧れる気持ちはすごくいいと思うし、理解もできる。

でも誰かに憧れるがあまり、その人の表面的な部分「のみ」を真似し、まるで自分をその人に同一化しようとする人を、ちらほら見かける気がします。

その真似をしている人からすれば、自分の憧れの存在に近づいているつもりかもしれないが、

本質的には寧ろ遠ざかっているんだ、というのが俺の意見です。

もう少し詳しく書きます。

音楽の世界では特にそうですが、誰の影響も受けずに音楽をやっているなんて人はほぼいないと思います。

ギターヒーローに憧れてギターを始めたり、大好きなバンドの影響を受けてバンドをやってみたり。

なので当然その「憧れの人」にも「憧れの人」がいたはずです。

つまり今はどんなに有名な人でも、誰かしらから大なり小なり影響を受け、徐々に人気が出て、スターになっていった。

問題はなぜ彼ら、なぜ皆から「憧れられる人」になることができたのか。

おそらくそれは、「自分にしかない何か」を持つことができたからではないか。

誰かの影響を受けながらも、憧れた人をサル真似するのではなく、良いところをあくまでも「取り入れる」ことで成長し、

自分の頭で考え、自分の個性を失うことなく、自分にしかない魅力を磨き上げることができたからだと思うんです。

他の誰の真似でもなく、「俺はこうだ」という強い明確な魂があるからこそ、皆に憧れられる存在になれたんじゃないかと。

「憧れの人」は自ら考え、自分にしかできない作品をつくり、自分にしか伝えられないメッセージを発信し、自分の個性を貫いたわけです。

ということは、本当の意味で「憧れの人の真似をする」ということは、

自ら考え、自らの個性を貫くその姿勢を真似ることであって、

表面的な部分(見た目、言動、パフォーマンスなど)をコピーすることではない。

何の意思も持たず「憧れる人の真似をする」ということは、

根本的な部分で、「憧れの人」とは真逆のことをしていることになる。

憧れに近づきたければ、自分にしかできないことをやり、個性を磨く。

たとえそれが表面的にはその「憧れの人」と似ても似つかない結果になったとしても、

それこそが「憧れに近づく」ということなんじゃないかと思います。

特に、音楽の世界、ロックの世界、自己表現の世界で、

自分の意思がない人に魅力があるとは思えない。

自分の頭で考えることなしに、何もかも誰かの真似をし、仮にそれがそこそこ成功したとしても

劣化コピーがこの世に1つ生まれるだけで、

そこにどれだけの価値があるのか?

というのが俺の持論です。

と、いろいろ言っちゃったからには、自分が実践できてないとあかんので、

ちゃんと結果で示したいと思います。

だからもうちょっと、待ってね。